ネットロアについて考える

雑誌やテレビなんかで「ネットロア」について、取材とかサイト掲載のご依頼をいただく機会があり、俺なりにネットロアについて、つらつらと考えてみた。

ネットロアって何じゃいな?

現在、「ネットロア」はSPA!(1月22日号)や読売新聞(1月29日)などを見ると、“インターネット(メール、掲示板、サイトの記述)を介して流通する噂や民話”って感じに定義されている。ちなみに、俺はSPA!の取材を受けて初めて知った。

「ネットロア」という言葉がマスコミに登場する機会となった、マガジンハウス刊「世界がもし100人の村だったら」のページには、「(作者というか編者というかの)池田さんはインターネット・フォークロア(民話)“ネット・ロア”と名づけています。」とある。つまり「ネットロア」と言う言葉はついこの間、「100人の村」のためにできたものなんだろう。

ネットロア≒チェーンメール?

で、俺にはチェーンメールとネットロアの明確な線引きが、まだできないでいる。

これまでは良い話だろうと、怖い話だろうと、くだらない話だろうと、不特定多数に転送されるメールは“ジャンクメール”とか“チェーンメール”あるいは“spam”で片づけられていたわけだ。

もしかしたら、単に大勢の人が知っている、あるいは共感を呼ぶチェーンメール(の内容)を「ネットロア」と呼ぶのだろうか。あるいは、「良い話のチェーンメール」とか。 チェーンメールの上位概念ってことなのだろうか(何が上位なのかは俺にもさっぱりわからんが)。

話の内容が良ければ不特定多数に送っても良いのか? 送られた奴らはみんな喜ぶに決まってるのか? 少なくとも、俺は(サイトのネタが増えたという部分は抜きにして)腹立たしいぞ。

「ネットロア」という言葉の出現によってチェーンメールという“ネットワークや受信者の負担・不利益になる行為”が美化されるってことになると、俺としては「住みにくい世の中になったもんだなぁ」とジジイの独り言みたいな事を言うハメになりそうだ。

チェーンメール=行為/ネットロア=内容

で、いままで「ネットロア」に対して否定的な気持ちしか持っていなかったのだが、有名なチェーンメールである「痛みの単位は鼻毛や、「ドラえもんの最終回」などを読み返して、意見を改めた。

上記に限らず、チェーンメールの元ネタにされた文章は面白い、興味深いものが多い。こういう文章がいろんなWebサイトにリンクされたり、「これ面白いよ」とメールで紹介されるのは自然なことだし、別に悪いことじゃない。なるほど、「インターネット上の民話(事実・創作を問わず)=ネットロア」とはよく言ったもんだ。

ただ問題は、もっとも一般的な流通方法が「引用元を明記せず」、「自分のコメントも無し」で、「いろんな人にばらまく」ことってところだな。

2稿 2002-02-13:URIと大幅な意見の修正
初稿 2002-02-04:書いたメールがあまりに長いのでサイトにアップ